10.墨田の防災団地 ―関東大震災・被服廠の「記憶の形象」―

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 高さ40mの住宅18棟が約1.2kmに渡り横につながってずらりと建ち並ぶ、墨田区の「白髭(しらひげ)東住宅」。見るものに威圧感を与えるこの巨大な団地には、特別な存在理由がある。
 1923年9月1日、関東大震災により東京中が火の海と化した。本所・深川(現在の墨田・江東にほぼ相当する)区民の多くは、隅田川に近く安全だと思われた陸軍被服廠(ひふくしょう)跡地に避難したが、火災旋風が発生し、瞬く間に3万8千人もの死者を出した。旧東京市全体の死者数の約6割に相当する、震災最大の惨劇であった。
 この記憶から、都は公有地が多く存在する白鬚東地区に、10万人を収容できる避難所(公園)を併設した「防災団地」を、1982年に完成させた。団地には、散水機や放水銃が随所に設置され、避難完了後には5箇所の避難口のシャッターが下り、全体を水で冷やす。それは、燃えない避難所を作る防火壁の役目を果たす。
 大震災の痛々しい「集合的記憶」が、「目に見える形」を60年後に与えたのである。
写真撮影者:日本大学3年 土屋篤司
2004年8月17日(火)15時20分
白髭東住宅(墨田区堤通)付近にて撮影

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