18.もんじゃの軌跡 ―「月島」の拡散―

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 もんじゃ焼のルーツは、子供が水で溶いた小麦粉で字を習いながら食べた「文字焼」であると言われている。子供向けの駄菓子であったが、1955年頃、地元の人が仲間内の憩いの場として大人向けの店を開くようになった。それが、1989年営団有楽町線「月島駅」開通、1992年NHKテレビ小説「ひらり」で取り上げられると、知名度が一気に高まり「もんじゃブーム」が巻き起こった。それに呼応して、営利目的に転業/進出する店が相次ぎ(1955年頃4軒→1993年28軒→現在約80軒)、ついには「月島もんじゃブランド」が形成された。しかし、ブームは月島以外にも波及して各地に店を出現させ、リピーターをつなぎ止めることを難しくした。交通網の発達は、地元の人の足を外に向かわせるという結果をももたらした。現在供給過剰ぎみで、一時の勢いに陰りを見せている。
 月島ブランドを形成する"具"となった交通ネットワークやマスメディアが、実は「月島らしさ」を拡散させ、衰退させるという逆機能を持っていたのである。
写真原作者:日本大学3年 山田晃央
2002年6月23日(日)午後6時
中央区月島「西仲通り商店街」にて撮影

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