9.2010年「東京」のワールドカップ ―改めて国家・国境・民族を捉え返す―

はじめに

 6月11日から7月12日までの1ヶ月に渡り、アフリカ大陸初の2010 FIFA WORLD CUPが南アフリカを舞台に開催された。32カ国が繰り広げた熱戦は、スペインの初優勝によって幕を閉じた。日本代表は、下馬評を覆し自国開催以来のベスト16を成し遂げ、日本中を歓喜の渦に巻き込んだ。4年に一度の世界最大のスポーツイベントは、今回もまた私達に様々な「東京現象」を見せてくれた。

1:渋谷発、歓喜のニッポン・コール ―増幅するナショナル・アイデンティティ―

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 早朝6時、朝日が降り注ぐ中、狂喜乱舞した約3000人の「ニッポン・コール」が渋谷で鳴り響いた。1勝1敗で迎えたグループステージ3戦目のデンマーク戦に勝利し、決勝トーナメント進出を決めた直後の様子である。笛を吹く男のすぐ上には、騒音問題を巻き起こした青色のブブゼラ。かつて軍旗・軍艦旗として使われた旭日旗もはためいている。
 劇的な日本代表の勝利は、若者たちを熱狂させただけでなく、「日本人」意識を高揚させた。内(我々)と外(異国人)との間には無意識のうちに境界線が敷かれ、渋谷で共有された「日本人」としての誇りや喜びは、メディアが増幅し瞬く間に日本中を共振させた。
渋谷で発せられた“日本人の、日本人による、日本人のための”ニッポン・コールは、日本人のナショナル・アイデンティティをくすぐって止まなかった。

2:日本人とは? ―ナショナルチームのユニフォームを着るのは誰だ―

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 でも、そもそも「日本人」って、誰/何なのだろう?
 6月19日(土)、日本対オランダ戦(グループステージ第2戦)のパブリックビューイングが終わった直後の東京ドーム内である。2万5221人もの人々が集まったが、試合は0-1でオランダが勝利。意気消沈している観客の様子が伝わってくる。
 手前には日の丸で身を覆う白人が3人。鉢巻の漢字が逆さまなのがおかしく、違和感・異質感すら漂っている。写真を撮影した者(後藤ゼミ生)も、「日本人」でないのにどうして応援しているのだろうと思ってシャッターを切った、という。
 しかし彼らの中に、日本国籍を持っている者、日本で生まれ育ち日本語しか話せない者、圧倒的な日本贔屓の者がいたってちっともおかしくない。東京ドーム内の一場面が、私たちに問いかける。皮膚の色だけで、どうして「色分け」てしまえるのか、と。

3:アディダスの龍馬像 ―グローバルがナショナルを越えていく―

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 5/22(土)-6/30(水)、国立代々木競技場のオリンピックプラザに日本代表の応援拠点「SAMURAI BLUE PARK」が開設された。その一角に、10mもの巨大な坂本龍馬像が3本ラインの入ったサムライブルーの着物を纏い、足元にW杯公式試合球「ジャブラニ」を置いてそびえ立つ「革命の広場」がある。FIFAパートナーのアディダス社(独)の提供である。
 でも、何故龍馬なのだろう。日本代表が掲げたベスト4を「革命的」と受け止めた結果、龍馬が「動員」されたようである。それはともかく、グローバル企業はナショナルないしローカルな資源を巧みに取り込みながら、市場を拡大していくのが常だ。アディダスが、国民的な知名度と人気の高い龍馬を最大限に活用しようとしたことは間違いない。
 そればかりか、広い世界を見据え、固定観念を打ち壊し、日本を「開く」ことを目指した龍馬は、グローバル企業の方向とも重なり合う。龍馬の目線はグローバル、なのである。

4:アイデンティティの拠りどころ ―バルーンが示す在日性―

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 赤色のTシャツを着て一心に応援する子ども達。目の前のスクリーンでは、北朝鮮対ポルトガル戦が生中継されている。北区十条にある東京朝鮮中高級学校の体育館に、在日朝鮮人を中心に約500人のサポーターが集まった。試合は7-0で完敗したが、44年ぶりの出場に加え、3人の在日選手が出場していることもあり応援に熱が入る。ここは都内で唯一の高級部(高校)を持つ。初等部(小学校)は23区内に7校あり、ゆくゆくは多くがここに進学してくる。世代を超えた在日朝鮮人ネットワークの要となっており、生育国「日本」と民族の祖国「北朝鮮」の狭間で、「在日」として生きる意味や覚悟を身につけていく。
 W杯を通して北朝鮮への忠誠心や愛国心が沸き立つようにも思えるが、応援する子ども達が手にしているのはハングル文字でも韓製英語の「ファイティン」でもなく、日本語で「ファイト」と書かれたバルーンであった。

5:バックパッカーたちの観戦記 ―浅草から注がれるコスモポリタンなまなざし― 

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 2010 W杯決勝スペイン対オランダ戦。0-0で突入した延長後半11分、スペインのゴールが決まった瞬間に、拳を突き上げて歓喜する人々と手で顔を押さえて悲鳴を上げる人々。世界中のバックパッカーが集まる「サクラホステル浅草」のロビーでの1コマである。
 この日の宿泊者約120人中、26人が最後まで観戦していた(深夜3時半?早朝6時頃)。うち22人を対象に後藤ゼミが行ったアンケート調査によると、スペイン・オランダ各2人の他、フランス5人、オーストラリア4人、アメリカ3人、ポルトガル・カナダ2人、ベルギー・スコットランド1人と9カ国に渡り、当事国以外の人々も試合の行方に一喜一憂していた(アンケート結果では、スペインを応援9人、オランダ5人、中立7人だった)。
 世界中から集まったバックパッカー達は、東京・浅草の地から“テレビの向こう側”に身を乗り出して、国境を相対視する「地球人のまなざし」を注いでいたのである。

まとめ

 世界を熱狂させた1ヶ月の間に、私たちは様々な「東京現象」を目撃した。キーワードは、「国家・国境・国民・民族」と「グローバリゼーション」である。
 1では、日本の劇的な勝利に酔いしれて巻き起こった渋谷発の「ニッポン・コール」が、メディアという増幅装置を介して日本中に蔓延していくことによって、「ナショナル・アイデンティティ」を内側に強化させていくメカニズムについて述べた。2では、日本の中では異質多様性が高いはずの巨大都市「東京」にあって、依然として「皮膚の色」で内国人と異国人とを区別/差別してしまう精神のありようとの関連で、「日本人とは何か」を問うた。3では、グローバル企業がナショナルないしローカルな資源を取り込みながら市場を拡大していく具体的な事例として、アディダス社の龍馬像を位置づけ論じた。4では、北朝鮮の試合の応援風景から、日本と北朝鮮の狭間に生きる「在日」のアイデンティティの置きどころを捉えてみた。最後の5では、世界中からバックパッカーたちが集まる浅草の格安ホステルで、決勝戦の模様を深夜から早朝にかけてTV観戦する人々のうちに、国境が相対化されるコスモポリタンなまなざしを見て取った。
 2010年、「東京」で引き起こされたW杯絡みの諸現象は、このように私たちに国家・国境・国民・民族を捉え返す機会を提供してくれたのである。2014年にブラジルで開催される次回のW杯では、どんな「東京現象」を読み解くことになるのだろう。
(1) 写真撮影者:日本大学4年 池田遼太郎 2010年6月25日(金)6時08分 渋谷スクランブル交差点(渋谷区道玄坂2丁目)にて撮影
(2) 写真撮影者:日本大学3年 橋場祐二 2010年6月19日(土)22時24分 東京ドーム(文京区1丁目)にて撮影
(3) 写真撮影者:日本大学3年 三枝直貴 2010年6月19日(土)16時17分 国立代々木競技場オリンピックプラザ(渋谷区神南町2丁目)にて撮影
(4) 写真撮影者:日本大学3年 金子清美 2010年6月21日(月)20時29分 東京朝鮮中高級学校(北区十条台2丁目)にて撮影
(5) 写真撮影者:日本大学4年 河村雄一 2010年7月12日(月)5時55分 サクラホステル浅草(台東区浅草2丁目)にて撮影

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