1989年 オタクという名の逸脱 

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1989年2月10日、年号が平成に変わった1カ月後、「犯行声明」が朝日新聞東京本社宛に届く。差出人は所沢市・今田勇子。「A子ちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。A子ちゃん一件に関しては、最初から最初まで私一人がしたことです」という書き出しで始まり、犯人しか知らない細部の情報がB4版の紙3枚にびっしり書きこまれていた。≪今だから勇気を出して云う≫という気持ちを込めたペンネームだったろう。さらに八王子市の郊外で5人目の犯行に及ぼうとして宮崎勤(27)は現行犯逮捕される。法廷で被告は「醒めない夢を見て、その夢のなかでやったような感じがしている」と語る。4人の幼女を連続して誘拐し殺害し、ひとりで死体の性器をもてあそぶさまを自らVTRで撮影した被告。死刑判決文で裁判長は云う。「本件一連の犯行の動機・目的は、主として女性性器を見たい、さわりたいなどといった強い性的欲求に基づいており、これに遺体凌辱の場面等を撮影した、他人が持っていない珍しいビデオを所持したいという収集欲がともなったもので、あさましいとというほかはなく、同情の余地はまったくない」。宮崎は両手の運動神経に先天的な障害を持っており、そのことで他人からバカにされたりいじめられるという強いコンプレックスを持っていた。そして7人家族に一家団欒はなく、食卓には4つの椅子しかなかった。本人は両親と2人の妹は、自分とは血が繋がっていない、本当の家族ではないと妄想する。お爺ちゃんっ子だった彼は祖父が死んだあと、居場所がなくなった。殺害した幼女の死体をバラバラに切断し、焼き、かじり、血をすすり、醤油をかけて食べるといった猟奇行為には、現実から逃れ、宮崎が云う《甘い世界》へ逃避しようとする意思がある。それがビデオへの異様な執着と結び付いた。7畳の自室はカーテンと棚で閉ざされた密室に近かった。ここで天井まで積まれた漫画雑誌と5787本のビデオテープに囲まれて暮らす。後に押収されたテープは261人の警官の手で13日間かかって試写された。TVアニメ、特撮、CM、シリーズドラマや映画、そして自分の犯行が報道されるニュース。これらが4台のビデオデッキで収録される。都下五日市町中学校の卒業写真の寄せ書きに英語の成績がよかった宮崎はこう書いている。「Both you and I have future」・・・。2008年6月18日、宮崎勤(45)に東京拘置所で絞首刑が執行された。われわれはこの特異な事件を前に考え込まざるを得ない。宮崎勤の精神と行動の関係を解明することは大変に難しい。ただ知れば知るほど感じる、この事件のいわく言い難い後味の悪さはいったいどこから来るのだろう・・・。

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