1983年 東京にもディズニーランドが…

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アジアから東京を訪れる観光客がまず行きたがる場所は、皇居でも東京タワーでもない。勿論、浦安のディズニーランドだ。《夢と魔法の王国》をテーマにシンデレラ城をシンボルとする。この施設がアメリカ国外で初のディズニーランドとして1983年に開園して以来、既に来場者は4億人を超えている(2006年11月1日現在)。テーマパークと呼ばれる大型行楽施設がバブル経済期に全国で数多く建設されたが、長崎オランダ村に代表されるように経営は挫折の連続のなか、成功した例が「東京ディズニーランド」(正式には「東京ディズニーリゾート」)と大阪の「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」とされる。開園当時、経営的にゆとりがなかったアメリカ・フロリダのディズニー社は、《極東の出城》に出資することなく、ライセンス料を取るだけで、経営はすべて日本企業であるオリエンタルランド(京成電鉄と三井不動産が大株主)に委ねられた。後にこの辺境の地の興隆を見た米ディズニー社の幹部は、出資しなかったことを≪史上最大の失敗≫と悔しがる。経営はこのテーマパークでは日本資本ながら、園内の運営はすべてアメリカ・ディズニー流メソッドでなされている。パークは巨大なステージであり、従業員はそのステージ上に配役されたキャストであるとされ、辞令は《あなたの配役は○○です》と指示される。お客はゲストと呼ばれ、ゲストとの会話が重要視される結果、自動販売機の設置はごく限られている。ゴミの清掃にも異常なほど神経が使われ、夜間閉鎖された後、園内ではパーク内のすべての通路が入念に洗浄される。こうした運営はアメリカ式マニュアル通りであるが、浦安ではそれが《原産地》以上に忠実に履行されていると云う。同時にオリエンタルランドは東京ディズニーランドが持つ原イメージを損なわぬよう、広告物には一切、名前を出さず、覆面サポートに徹するよう契約上、義務づけられている。浦安の巨大なスペースは提起する。《いったい現代において文化のオリジナリティとは何なのか。そして空間を超えた文化のコピーとはどういう価値があるのだろうか》と。

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