17.両国の存立基盤 ―両国と共に歩み続けて足掛け4世紀―

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 相撲五月場所11日目の両国国技館前の通り。取組を終えて出てきた若手力士の姿をファンが写真に収めている。横90cm×縦540cmある色とりどりの幟(のぼり)には、高見盛関などの力士名、永谷園や東国原宮崎県知事などの勧進元(贈り主)の名前が書かれている。
 記録によれば、本所回向院(現在の国技館と両国駅を挟んで反対側)の境内で、初めて勧進大相撲が開催されたのが1768(明和5)年。1883(天保4) 年からは定場所となり、1909(明治42)年には(旧)両国国技館が建てられた。第二次大戦後、台東区の蔵前に国技館が移ったが、1985年に再び両国 (現在の地)に戻った。今日では1年に6回の大相撲のうち3回がここで開催され、相撲部屋も20近くが存在し、ちゃんこ料理店も数多い。だから両国は、江戸時代からずっと大相撲と共にある「相撲の聖地」と称されるのである。
 しかしながら、勧進相撲とはそもそも入場料を取って相撲を催すことを意味する。であるなら、相撲興行で成り立つ両国を「俗なる」文脈で語ることもできる、ということだ。
写真撮影者:日本大学4年 上野 哲広
2007年5月23日(水)16時頃
両国国技館前(墨田区横網1丁目)にて撮影

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