1996年 プリクラ爆発現象

ATP_2008_17_01_1996年 プリクラ爆発現象.jpg

ATP_2008_17_02_1996年 プリクラ爆発現象.jpg

ATP_2008_17_03_1996年 プリクラ爆発現象.jpg
1995年夏に東京渋谷のセンター街のゲームセンターに「プリント倶楽部」機が設置されると翌年から爆発的に≪プリクラ≫が女子高生たちに普及した。友達と撮影しては、それぞれシ―ルを交換する。それをノートや連絡帳に貼って収集する。そうした「プリクラ手帳」がシールで埋め尽くされる。あるいは持ち物いたる所にベタベタ貼られる。機会は6社が製作し発売している。中高生はおこずかいの範囲でしか遊ばないから高価なものは受けない。飽きるのも早いから、引きとめるためにはあの手・この手の新たな機能を付加しなくてはならない。機械がまず外観からしてかわいい、オシャレなものでなくてはならない。さまざまなキャラクターとのタイアップが図られる。BGMを鳴らし、雰囲気を大事にするメーカーもある。子供たちが写真に手を自由に入れられるよう、らくがき機能に凝るメーカーもある。既に開発から十年以上経過した。相手の世代が通過していくとはいえ、いまだに命脈を保っているのはそれなりの商品改良策が功を奏しているためと見られる。2003年には郵便局が目を付けて、プリクラから切手が出来る試作機を作った。これだとオリジナルプリクラが切手で流通する。宅急便に押されがちな郵政公社の打開策だ。世の古今東西を問わず若い女性は記念撮影した写真に関心を強く持つ。プリクラはそうした普遍的なニーズにうまくフィットした現代的なマシーンに違いない。

プロジェクト