11.試作品・万世橋駅の一生 ―日本鉄道史の轍(わだち)―

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 2006年5月、二代目の交通博物館(1)が、多くのファンに惜しまれながら70年の歴史に幕を閉じた。赤レンガのアーチは、ここに駅があったことを伝える名残である。
  1912(M45)年に中央線のターミナル駅として開業したこの駅は、万世橋駅と名付けられた。2年後に開業する東京駅と同じく辰野金吾が設計し、東京駅の習作だったとも言われている。だが1919年に神田駅が開業し中央線の起点が東京駅に移ったことや、1923年の関東大震災で駅舎が焼失したことなどにより、存在感が薄れていった。しかし1936年に交通博物館という新たな使命を負い、役目を終えた機関車たち(2)と共に人々の心を再び捉えた。鉄道発展の立役者達が「過去の遺物」にならず活き活きと輝き続けたのは、ここが近代化を推進した国家や民衆の意思が投影された場所であり続けたからに他ならない。
  習作と呼ばれ、波乱の人生を送った万世橋駅。日本鉄道史の轍がここに刻み込まれなければ、東京駅の現在(いま)は無かったのかも知れない。
写真撮影者:(1)日本大学4年 長戸健太郎 (2)日本大学2年 高橋芳典
(1)2005年7月1日(金)8時半頃 万世橋(千代田区神田須田町1丁目付近)にて撮影
(2)2005年7月1日(金)8時半頃 交通博物館(千代田区神田須田町1丁目)にて撮影

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