30.「東京」のワールドカップ ―日本のセンター・フォワード―

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1.はじめに -W杯と「東京」-

 2002年5月31日から6月30日までの1ヶ月にわたって日韓共催で行われたFIFA World Cupは、日本社会をかつて味わったことが無いような興奮の渦へと巻き込んだ。32ヶ国による熱戦はブラジルの5度目の優勝によって幕を閉じたが、共催国の韓国は4位 、日本もベスト16という快挙を成し遂げた。
 特に日本が1次リーグ突破を決めた6月14日(金)の東京の熱狂はすさまじいものがあった。写 真(1)と(2)は渋谷駅ハチ公口周辺、写真(3)と(4)は新宿駅東口広場での歓喜に満ちた人々の様子である。この日の渋谷、新宿はまさに日本代表のユニフォームを身にまとった若者たちに占拠され、一晩中「ニッポン」コールが鳴り響いていた。
 普段は大人しいとされる日本人も、この日ばかりは沸きあがる喜びと衝動を抑えられなかったようだ。そして、この世界的イベントの開催中は、他にも様々な「東京」ならではの興味深い「W杯現象」がみられたのである。

2.集まれ世界のサポーター -Roppongiデアイマショウ-

 W杯期間中、六本木に集結して騒ぐ外国人の姿が盛んに報道された。彼らはどこから来て、何故六本木に集まるのか。その謎を解明するため、イングランド対アルゼンチン戦が行われた6月7日(金)の夜に、後藤ゼミでは現地調査を敢行した。写 真(5)はイングリッシュ・パブでの様子。立錐の余地がないほど大勢の人々が入り込み、騒然としている。私たちがこの日、インタビューできた外国人はわずか22人にとどまった。調査が困難を極めたからだ。内訳は、英国人が1番多く6人(旅行者4・滞在者2)、残り16人は、旅行者(12人)がベルギー(3)、エクアドル(3)、アイルランド(2)、アルゼンチン、コロンビア、ロシア、メキシコ、滞在者(4人)がアメリカ、カナダ、オーストラリア、ネパールと、合計11カ国にもわたった。六本木のことは事前にガイドブックやインターネットなどで知った人が多かった。「六本木は外国人が多くて楽しい」と、カナダ人女性が答えてくれた。
 多民族国家とは言えない日本において、もともと外国人向けの飲食店等も多く、多様で異質性の高いこの街は、外国人にとって居心地の良い空間なのである。

3.マルチエスニックタウン大久保 -テーハミングッ!-

 「テーハミングッ(大韓民国)!」 韓国が決勝トーナメント進出を決めた6月14日(金)の夜、大久保の街に響くコールは鳴り止まなかった。写 真(6)は、韓国料理店「大使館」の駐車場に設置された特設スクリーンの前に、約1千人もの人々が集結し(東京中日スポーツの報道による)、異様な盛り上がりをみせている様子である。新宿区の統計によると、区内の外国人人口は登録されているだけでも27,513人(2002年8月1日現在)で、23区内中トップの数字である。その中でも特に多いのが韓国・朝鮮人で約9千人。次に中国人が約7千人。さらにはミャンマー、フィリピンなどアジア系が多く、大久保百人町付近は外国人比率が約20%を占める。まさに大久保は、「アジア系のマルチエスニックタウン」と呼ぶにふさわしい街なのである。
 写真からは日本人が韓国人サポーターに交じって、共に声援を送っている様子が見て取れる。日韓共催のW杯の醍醐味を味わうかのような、ささやかな異文化交流。その場所がここ大久保であるというのは、実に自然な事実なのだ。

4.いざ!国立 -聖地に集う12番目の選手たち-

 同じ日、韓国対ポルトガル戦が仁川(韓国)で始まる前に、日本対チュニジア戦が大阪の長居スタジアムで行われた。日本は勝って決勝トーナメント進出を決めた。写 真(7)はその時のもの・・・・ではなく、東京・国立競技場の様子である。青一色のサポーター達が見つめるのは、試合を生中継する巨大スクリーン。日本の首都、サッカーの聖地「国立」があるにもかかわらず、試合会場にならなかった東京。そこで「東京も戦う」を合言葉に「パブリックビューイング・イン東京実行委員会」によって開催されたのがこのイベントである。同様の催しはこの日各地で行われ、横浜国際競技場が約13,700人、大阪ドームが約22,000人という観衆を集めた(毎日新聞の報道による)。しかし、国立競技場の入場者は何と51,300人(同)。他と異なり、有料(1人2,500円)であったにもかかわらず・・・・。
 ここには、「東京」の持つ社会現象の「大規模性」と「中心性」という「力」の本質が表れている。各地で行われたパブリックビューイングだが、その中心もやはりここ、「東京」であった。

5.おわりに -「東京」のW杯現象-

 様々な感動を私たちに与えてくれたW杯。それはまさに夢のような、あっという間の1ヶ月間であった。写 真(8)のJR原宿駅前の看板には、"I GOT BLUE FEVER"の文字。まさに「青い熱」にとりつかれたかのごとく、人々は日本代表の快進撃に酔い、普段サッカーに興味のない者までをも巻き込んで、この巨大な「祭り」を楽しんだ。勿論、大分県の中津江村騒動やスタジアムのチケット問題等、話題を呼んだ出来事は全国中で起こった。だが、そうした情報もメディアが東京から発信したものが大半だった。つまり、私たちが触れた様々な「W杯現象」をたぐり寄せると、その多くは「東京」に結びつく。実際の試合会場にはならなかったにせよ、広く知れ渡った「W杯現象」は、まぎれもなく「東京発」であったのだ。
 改めて「東京」が日本の中心であることを実感させられると共に、私たちもゼミプロジェクトの成果 「『東京』のワールドカップ」を多くの人々へ発信しよう。この世界的大イベントの記憶をいつまでも留めておくように、ここ「東京」から・・・・。
写真原作者: (1)(2)日本大学3年 梶亜紀子 (3)(4)日本大学4年 上野麻里子 (5)日本大学3年 菊池紀行 (6)日本大学3年 佐瀬健二 (7)日本大学2年 飯島達徳 (8)日本大学3年 浦部奈津恵
(1)(2)2002年6月14日(金)午後6時すぎ 渋谷駅ハチ公前(渋谷区道玄坂)にて撮影
(3)(4)2002年6月14日(金)午後7時頃 新宿駅東口広場(新宿区新宿3丁目)にて撮影
(5)2002年6月7日(金)午後8時半頃 「Wall Street House」(港区六本木)にて撮影
(6)2002年6月14日(金)午後9時頃 「大使館」脇駐車場(新宿区大久保1丁目)にて撮影
(7)2002年6月14日(金)午後3時すぎ 国立競技場(新宿区霞岳町)にて撮影
(8)2002年7月21日(日)午前10時半 JR原宿駅竹下口前(渋谷区神宮前)にて撮影

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